風邪気味

@mtohjm

Age Factory、とその恐怖について 〜Age Factory 渋谷WWW X公演を観た〜

 

 

 

「Age Factoryはもう、火をつけてしまった。シーンに、現実に、時代に、意識に、文化に、そして何より、彼ら自身に。」

 

 

 

 

 

 

 

 


あちらではロックシーンの異端児と、こちらではオルタナティヴの地方回帰と評された奈良のスリーピースバンド、Age Factory。彼らの傑作、1st Full Album「LOVE」から9ヶ月が流れ、新作「RIVER」が先日リリースされた。表題曲''RIVER''のミュージックビデオが公開されるや否やSNSを中心に話題が沸騰。ジャンル関係なく大勢のアーティスト達が、音楽ライター・関係者達が、そして各地のリスナーがこぞって今作「RIVER」を絶賛している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

‘‘言葉の力と世界観
成熟しているのになぜかとても洗練されてる
若いのにじっくりと染み込んでる
枯れてるのになぜかとても潤ってる
こんなに連れてってくれる音楽
そう滅多に聴けねぇよ’’
(G-FREAK FACTORY / 茂木洋晃)

 

 

 

 

 

 


‘‘この作品が日本、海外の人達にも、沢山の人に届き愛されることを本当に願ってる。
本当に、すげぇカッコよくて、リアルだ。
昔からカッコいいロックバンドが出す新作はワクワクするし何だか少し緊張する。
Age Factoryにも、それを感じるんだ。’’
(COUNTRY YARD / Sit)

 

 

 

 

 

 


‘‘奈良在住・平均年齢24歳の若き才能が、本気の目で問いかけてくる。お前は誰だ。他の誰かみたいに生きてないか。他の誰かのように流されていないか。音楽シーンの主流に対するもうひとつの選択=オルタナティヴという意味を超え、人間としてのアイデンティティさえ問いかける音。『LOVE』の時に思ったことを改めて繰り返そう。こんなバンドを、私は待っていたのだ。’’
(フリーライター / 石井恵梨子)

 

 

 

 

 

 

 

‘‘これがAge Factory?なかなか良いね、声の泥臭い感じとか。父さんの若い頃みたいだ。’’
(父)

 

 

 

 


さてここでワタクシも一つ、狂作とも言えるであろう「RIVER」に気の利いたコメントを…!と意気込んでみたが、本当に全く思いつかなかった。一枚の作品、そして六つの楽曲に思いを馳せながら感情を綴ったり、分析したりすることは可能だ。

しかし、良い意味で「この作品を肯定する人たちの理由は同じ方向を向いている」気がするし、そう言った類の文章はもう既に書かれまくってしまっている。(Age factoryは進化している、とか新しい彼らだ!みたいなもの)
バンドにインタビューをしてるわけでもない自分に言えることはただ一つ、「「RIVER」を買おう」

 

 

 

 


~Age Factory「RIVER」RELEASE GIG 【東京編】@渋谷WWW X w/ LOSTAGE / My Hair is Bad~


ステージ向かって左側、ベースの西口、ドラムの増子、ボーカルギターの清水、観客の拍手や歓声を受けながら順に姿を現わす。私がAge Factoryを好きな理由の一つは入場する時の、この漠然とした「何かをコロッと簡単に変えてしまいそう」な三人のオーラだ。空調の効き過ぎではなく(少し会場は寒かったが)、広野に放たれた虎に睨まれたかのようで鳥肌が立つ。

 

 


『見える全てを 壊して進め 何も要らないさ
終わらないぜ そう歌ってくれよ
終わりも知らないように』

 

 

 

と、轟音とともに声を荒げながら歌われた最初の曲、アルバム「RIVER」のオープニングナンバーでもある''OVERDRIVE''だ。
「燃やせ、全部燃やせ、邪魔だ、散れ」と吐き捨てるように清水が言い放った後''siren''、''CLEAN UP''と新作から疾走感のあるナンバーが立て続けに披露される。前方真ん中でモッシュピットが起こり、会場は徐々に熱気を帯びてくる。前作「LOVE」から''Yellow''を披露した後「東京で、東京の人々を見て書きました」と前置きしてから''RIVER''を熱演。喚いてる訳ではなく、怒鳴りつけるでもなく、意志を歌声に込める。叫んでいるのではない、純粋に歌う。そこに増子の正確だが緩急のある心臓を揺らすパワフルなドラム、西口の耳の奥底、私たちの「ゾクゾク」という感触を引き起こすなんともエロチックなベースが相まって洗練されたサウンドに仕上がっていく。

 


これは個人的な感覚なのだが、ライブでは楽曲ごとに「ここだ!」という感情が一気に昂る瞬間がある。そのツボをAge Factoryのライブでは的確に押される。頭の隅から心の端まですべてを掴まれたような、全身が震え立つ感覚がある。あの感覚が、そしてステージから睨み付けてくるような意志を持った清水の目が堪らなく好きだ。

 

 

MCなどほとんどなしに''Puke''、''left in march''、''SUNDAY''と続き、「奈良県Age Factoryでした。ありがとうございました。」と短く挨拶をした後バンドは本編ラストに''My end''をプレイ。

 

 

『足早で行くよ 踵踏んだままで
足早で行くよ 君を迎えに行くよ
足早で行くよ 踵踏んだままで
足早で行くよ 少しだけ待っててね
そうやって終わる今日を 笑うよ』
(''My end'')

 

 

アンコールに応え、ステージに再び戻って来た3人。今作のツアーファイナルとして新宿LOFTでワンマンライブを行うことを語った清水は「最初の方、前の方でモッシュが起きてて。あれ良いね」と新たに見えた景色に手応えを感じているようだった。そして''さらば街よ''と''ロードショー''を順に演奏して、約1時間のアクトが終了。

 

 

 

 

終わった後、まず感じたのは恐怖だった。1か月前に観たAge Factoryとはまるで別人だったのだ。技術的なことは勿論のこと、オーディエンス、雰囲気、熱量、一体感、そして楽曲自身。全てが別物、そう思えてしまうくらい一回りも二回りも風格が違ったのだ。怖い、何故なら自分が初めて「LOVE」を聴いた時に抱いたバンドのイメージは、何年も真摯に音楽に向き合って場数を踏んできた手練れたちのそれであったからだ。この若さでこの風格、圧倒的な速さで成長していくAge Factoryに期待を超えた得体の知れない恐怖、まさに「バケモノ」を観せられた気分を味わった。

 

 

 

 

 


話は変わるが、Age Factoryの音楽は、というか清水エイスケという人は、今巻き起こっている全てのシーン・流行の渦、所謂メインストリームから少し離れたところでそれらを眺めているような存在だと思うのだ。チープなサウンド、外見だけ綺麗で内容の無い繊細なだけの歌詞、奇を衒っただけのリスナー騙しとも呼べる音楽、そしてそれに群がる人々。それらを俯瞰し、目に見えない激しい負の濁流の上に仁王立ちしながら、他の誰でもない自分に吠えている。いや、吠えていた。今作、彼らは聞こえの良い言葉や、音楽にすぐ騙されてしまいそうな私達に強烈なメッセージを吐いて残す。

 

 

 

 

『駆け抜けろ駆け抜けろ
濁流の中 人波の逆へ
生きてゆけ生きてゆけよ
知らぬ間に居た朝を睨んで

孤独であれ 人よ
孤独であれ 街よ
孤独であれ 君よ
孤独を抱え行け』
(''RIVER'')

 

 

 

 


『綺麗な街に火を点けろ
狼煙を上げろ合図を送れ』
(''siren'')

 

 

 

 

 

では、この「RIVER」というアルバムは作詞を務める清水のエゴイズムが前面に出たナルシシズム的作品かと言うと、全くそうではないのだ。後半の''left in march''や''SUNDAY''などずっしりとした骨太なサウンドにに自らの生活を内向的に見つめた歌詞を載せた、春のように暖かい落ち着きのある2曲。この2曲で調和している、と言うわけではないがこれらがあったからこそ作品としてまとまっているというか、非常にバランスのとれた新たなAge Factoryの「一枚の作品」になっている気がする。そして何よりこの6曲はライブで映える。作品としての良さ、そしてライブでの良さがまた絶妙に異なっている。どんな作品が「良い」ものなのかはその人次第だけど、こういう作品をこの若さで作り上げてしまうのは良いというか凄い事だと思う。私はこの作品のそういうところが良さだと思うし、好きなところだ。

 

 

 

 

 

 

 

2017年7月26日に「RIVER」という作品が出された事には大きな意味があると、渋谷でのライブの帰りにぼんやりと考えていた。

 

 


機は熟し、既に時代の方がAge Factoryを求めている。音楽が、音楽を愛する人たちが、心から彼らの音楽を欲しがっている。左足を踏み出せば、右腕が伸びるように、これから当たり前のようにAge Factoryの音楽が生活に、そして心に寄り添ってくれるのだろう。

 

 

 


Age Factoryはもう、火をつけてしまった。シーンに、現実に、時代に、意識に、文化に、そして何より、彼ら自身に。

 

いつか、Age Factoryは本物のメインストリームを作り出す。そして、その中心は勿論Age Factory。彼ら自身である。